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Great Big Seaに関する雑談、その他音楽、あるいはただの読書日記

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『ピアノ・ソロ』 // Jean Echenoz, 谷昌親 訳 // 集英社


エシュノーズは流れる音楽的な文体がほんとに美しい作家。
邦訳も素晴らしい(仏語読めないから知らないけど)、
少なくともリズムが破綻することも息継ぎに失敗することもない。
会話文がすべて平叙文に飲み込まれた、一連の物語。

邦訳タイトルの妙に、最後にあぁなるほど! と頷きます。
わたしは「えっ、おしまい?!」と叫んで読了を迎えたのですが、
もうね、ピアノとはそういうものなのですよね。
結局ソロなのです。連弾はできない。協奏も。
寂しく静かに絶望的に、音楽は止んだ。

Ravelという作品で彼を知ったのですが、
あちらほどの現在性のようなものは特にない、かな。
冷たくてはっきりとした、豊かに情感溢れる、けれど透明で硬い、流れて続く小説。
最悪なのは表紙くらいのものですね。
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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
// Philip K. Dick, 浅倉久志 訳 // ハヤカワSF文庫 テ 1ー6

読了、!
映画「ブレードランナー」の原作小説。
圧倒的なスピード感、絶対的な文筆力。静かに閉じる1日、長いながい戦い。
人間とはなにか、を問うのがSFなら、それと真っ直ぐに対決した長編です。

Ray Bradburyの"Million Year Picnick"という短編には
「遠くて長いピクニック」という素敵な邦題もあるのですが、
まさにこれはMillion Year Picnick、です。
サンフランシスコ市内からほとんど出ないのに大いなる旅をしていて、
けれど軽妙な書き口だからちっともそれが苦しくない。

個人的におぉ、と思ったのが、感情のコントロールという観点です。
人間の根底を感情に求める、けれど出だしのデッカード夫妻は、感情を機械に頼る。
見所はこの奥さん、イーランの変化でしょうか。
鬱に閉じ籠る彼女は、最後に夫のために映話をかけて生物の生活環境を整える。
電気カエルが生命体だと認めるのですね、彼女の夫と同じように。
生きてるということの定義をとても複雑に考えさせられますが、
ここでは非常に単純にも思えます。
それが「生きている」と感情移入できる人にとっては、それは「生きている」。
とても明快なことです。

あとレイチェル。
彼女がしでかすことはとても貴重。
リックが山羊を奥さんより愛していると思ったから、ああいう手段に出る。
ここでこの山羊はまさしく生け贄です。キリスト教の。
だからリックは妻を手にいれることができる。

近々映画も観たい。
きっと面白いに違いないのです。
そして最初の問い、アンドロイドは電気羊の夢を見るか? ですが、
見ます。
わたしはそう思います。
// Philip K. Dick, 浅倉久志 訳 // ハヤカワSF文庫 テ 1ー6


面白かった!
Dickは文体が好きで買おうと思い、『アンドロイド』は有名すぎるからと敬遠した結果。
結局『アンドロイド』も買ったのですが。
まず、ハヤカワのDickは表紙が格好いいですね! 一目惚れしそうになりました。
第二次大戦の結果を逆転させ、サンフランシスコを舞台に日本・ドイツ・アメリカの動向を追う。
人種差別の気がありますが、うまく追えているな、と思う部分もあります。
戦後の人間の心の動きと芸術、政治。
第三帝国の人名が結構出るのでその辺りの知識がない人にはつらい。
あと易経の知識もあると楽しめるのではないかしら。
銀細工の話はとても心に重い。人間とその文化の尊厳。
ロケットやら惑星植民地やらでてきますが、文化は結局人間に一番根づく。ここにぐっときた。
最後がちょっと個人的に納得しづらかったな。

でも引き込まれる文体で、読みやすくガツガツと楽しめます。
ぜひに!
百田尚樹//講談社文庫 ひ43ー1


号泣はしなかったけどはらはらと泣けた。
時期的に丁度良いかもしれません。
脳内再生でずっと、Carbon LeafのWar Was In Colorが流れていた。
特にエピローグ!
圧倒的な語りでの締めくくりだったと思います。
語り部たちが回想する形で書かれた本書ですが、
惜しいのは現代に生きるキャラクターの個性が弱すぎるところでしょうか。
思い出に閉じることに始終しているのも惜しい。描かれる未来が足りない。
小説というよりは、資料、という感じがしました。
//いしいしんじ//新潮文庫い76-8


いしいしんじは安定作家のひとりです。
『みずうみ』は個人的にハズレでしたが心配しなくて済む作家認定しています。
今回もね、ほらね、大当たりだよ。

それにしても買ってから長いこと放置していた本です。
なぜか。ただ単に指が伸ばせなかっただけ。
『麦ふみクーツェ』や『プラネタリウムのふたご』同様に、きっと根気が要ると思った。
読み終わるのにね。
実際要った。そりゃもう要った。第一部が現状に被ってまず号泣した。
(飛行機で読んでました。隣いなくて良かった。)
この時点で嫌な予感がした。
なにしろいしいしんじの水のは廻るので。
『プラネタリウム』といい『みずうみ』といい、彼の中で水は明らかに永遠を象徴する。
それも生まれ変わる永遠ね。輪廻。決して終わらない、受け継がれる永遠。
少しずつずれながら連綿と続く繋がりは切れることを許さない痛みを伴う。
まるでそれが罰みたいに。

読みながらおや、と思ったのは、『ハックルベリー・フィン』を読んでいる気にさせられたこと。
多分ここは狙っていると思うのです。
 ポー=ハック
 天気売り=ジム
この対比のまま読んでいける。
それから随所に『はてしない物語』を読んでいる気にもさせられた。
しかしいずれにしても主人公の成長物である、
それも米文学の流れを受けた、「他者の助けを借りてイニシエーションする」という形式。
ここでイニシエーションは成功しているか?
しています。
米文学からシフトするのはコンクリートに閉じ込められてしまったとき。
あの暗い細道は明らかに胎内。
そして大うなぎのエピソードは、それを逃げずに行った証明です。
そのため白く輝く「なにでもないもの」にポーは変わってしまう。

この話、「父親的存在」がないのですよね。
母親は多く存在する。それはもうたくさん。数の上でもたくさん。
こぶのある美しい娘(うみうし娘)たちはくらげ(水母)ではないか。
母であり同時に娘であるそれが女性という存在。
一方で父親であり息子であるというのは無理があると思う。
父親は「超えるもの」なので、息子でいるには決して超えられない。
そしてその壁をポーは持たない。なので自分で探しに行くしかない。

読み足りないのがもったいない。もったなにか発見できるはず。
//手塚治虫//朝日ソノラマ


友人に薦められて、まる2日かけて11冊読み終えました。
4巻『鳳凰篇』、1巻『黎明篇』が個人的にお気に入りです。
何度も読みたいし何度も語りたい。

日本史とSFを中心に話が進みます。
1巻3巻4巻7・8巻10・11巻で歴史を追い、2巻5巻6巻9巻で未来へ飛ぶ。
『鳳凰篇』は奈良時代。ひとりの社会に反抗する男とひとりの彫り師の話。
この感情の交錯、立場の行き違い、ストーリーの流れ、見事でした。
個人的には芸術を見方の中心に据えてあったことがまた見所でした。
創作とはなにか、なぜするのか、どういうものが評価されるべきなのか。
芸術の目的はいつも、その本質に近づきそれを捉えることです。
『鳳凰篇』はそれを強く訴えている。
そして政治・欲はそういった境地に覆い被さって殺してしまう。


これは、通しで読むととてもしんどい。
けれど通しで読むのがいいでしょう。いろんな伏線に気づけるし、繋がりがはっきり目にはいる。
相互に重なり合いながら織り込まれながら、物語が詰まっていきます。
読み終わると、しばらくなにもしたくなくなります(笑)
斉藤兆史、野崎歓//東京大学出版


斉藤先生はお初にお目にかかるのだけれど、野崎先生は途中で気づきました。
Christian Gaillyの翻訳者です。
読んでいると、彼がああいう音楽的な作品が好きなのだとわかる。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
とても素敵な翻訳でした。素晴らしい小説でした。
わたしはフランス語など存じませんので、彼を読む機会などまず間違いなくゼロでした。
欲を言えば、もっと彼の作品が読みたいです。

この対談集は6部構成で、テーマは大きく分けて3つ、
・語学
・翻訳
・文学

「外国語」としての英語も仏語も「母語」である日本語の上に成立する、という論。
齋藤孝先生や藤原正彦先生に傾倒している身としては大賛成です。
これは、外国語をしないとたどり着けない論なのだと思います。
他国について学ぶということは自分の国について学ぶことが前提として用意されます。
ものの見方というのは比較の上に成り立つから。
ここではそれに留まらず広い意味での語学学習についての意見があります。

その語学との接触として取り上げられる「翻訳作品」。
翻訳と翻案と直訳の間を取る「翻訳」という仕事について。
例えばフランス語での翻訳者待遇はとても悪いそうですが、
それはフランスにおいてはとても当たり前に思えてしまう。
ドイツ語で翻訳はubersetzen、uberとsetzenに分かれますが、
つまり「置き換え」ということです。
英語ではtrans、変形を含むものだと前提を置かれているけれど
大陸では違う。単語を置き換えて並べる作業なのです。
ここで論じられるように繊細なものだとは思われていない。
翻訳は丸ごと移植するようなものだと思います。
繊細で大胆で大出血を伴う。
上手く輸血ができるかがポイント。

日本語に翻訳された小説を「日本語文学」と紹介することから始まる「文学」。
これは一体なになのか、なんの役に立つのか。
わたしタイトルみたときにドキッとしました。
まさか文学がなにか有用性を持つのかと。
よかった、相変わらず無用の長物です。
そしてだからこそ存在する。
イヴァン・セルゲイ・ツルゲーネフ、米川正夫 訳//岩波文庫赤608-4
キリル文字が出ないのでカタカナ表記で失礼します。


ツルゲエネフの恋物語、というのを読んでみたいと思っておりまして。ついに読みました。
凄絶な話なのですね。
ドストエフスキーの『白夜』みたいな淡さの、冷たく積もった話なのかと思っていました。
とんでもない!
情熱と絶望に燃えた愛でした。
夏目漱石//岩波文庫 緑-10-4


英語タイトルがThe Three-Cornered Worldなのです。
なんでこんなタイトルなのだろうと思って、読んで、納得。
とても冴えた英題だと思います。
作品の本質を突いている。
世界から人情を抜き去った、三角の世界、それが草枕。
芸術が語られる小説です。

漱石の英国留学経験が大いに発揮されている。
絵画と詩、これが根底にあり、そこから人情なんてものを抜き去ろうとして、
結局最後に見つけた芸術は人情によって、忌み嫌った都会で、完成される。
絵画ではミレイ、ターナーと英国大御所が顔を覗かせ、
詩歌でワーズワースと並べて五言絶句を書いたりする。
芸術は互換性のあるひどく自由な美しさだと思わせる。
「ハムレット」のオフェリアはミレイの手によって情感的に、
けれどひどく非人情に仕上がりました。それをひたすら追う画工。
小説を拾い読みするシーンなんか
「ハムレット」を語らずにオフェリアの絵を語る、
それを正当化する手段に見えます(もちろん船のシーンは重要でしょうが)。

幅広い文化論、芸術論という印象。
語り口、というか文体がとてもきっぱりしていて好きです。
少し意識の流れの手法が見えますが、流れきらない。
近代日本詩人の書き口も連想します。
面白かった!
読むのとても時間掛かったけれど。
佐々木正明//扶桑社新書075


日本人にとって極めて不愉快な内容になっています。
なっていますので、この事実を必ず容認してください。
海洋立国の、どうして漁業を政府が守れないのか不思議でしょうがない。
カナダのシー・シェパードに対する事例が載っていますが、これがかっこいい。
太平洋カナダのアザラシ漁に妨害を行うのですが、それへのカナダ政府の対応。
漁が国民を守っていると知っているからできるのです。
日本の政治家も、鯨漁が国民を守っていると知るべきではないですか?

内容は、シー・シェパードの活動記録、そのリーダーであるポール・ワトソンについて、
SSの支援団体の実情について。
最後に日本鯨類研究所の石川創氏のインタビューがあります。
現場の方の意見なのでぜひ読んでいただきたい。

それで、これを読むにはたぶん少し勉強が要ります。
まず、日本が一体なにをどこで捕鯨しているのか、それは正しいのか。
日本は南極で調査捕鯨を行っていますが、これはIWCで認められている区域です。
日本語では確認したのですが英語公式でそれをきちんと調べたいと思っています。

物事は見方によるのです。
どの面から見るのかは自分で決めるように。
わかっているのは、ワトソン氏が海洋生物を愛していて人間から守ろうとしていて、
日本の漁業はそれに圧迫を受けているということ。政府は救済していないこと。
立場によって見方は変わる。どれを採用しましょうか。
鯨漁の季節がじきに始まります。
海に出る人へは、つらいつらい時期になりますね。
『海底二万里』//Jules Verne, 江口清 訳//集英社文庫 ウ7ー1


2月8日がVerneのお誕生日でして、本棚から引っ張りだしました。
子ども向けのを英語で読んだだけだったので、しっかり読むのは初めてです。
しかし南極に旗を立てるのと「たくさんだ!」と叫ぶのはとても印象深かったわけです。
「全知全能なる神よ、」がつくのですね、この、「たくさんだ!」には。
神に挑戦するためのノーチラスを造って、虐げられる人の運命を救おうとする。
運命に翻弄される悲しい人間の姿です。

作中、幾度か「価値が高く絶滅が危惧される」動物が出てきます。
これに対してアロナクス教授は憐憫・同情を示さず博士らしい「採集欲」をみせる。
ネモ船長は無駄な殺生は好まないけれど殺して食べることに特に抵抗をしない。
現代の我々から見るとそれはひどく非情なことであり、罰せられるような行為です。
当時の動物への認識はそうであったのか。
それともここで誇張されて書かれているのか。
博物学がこの頃ブームでしたね。採集する人々が増えたことへの皮肉かもしれません。

個人的に気になったのはフランス語の使い方。
ネモ船長が最初、英仏独羅に対してすべてわからない、と示す。
すべての言語の壁をなくした彼は、船内ではまるで新しい言葉を話します。
これは、統一言語を既成の言葉から選び取ることの危険性、
誰かにとって有利不利があるような状況への否定、
ひいては英語の国際語使用への警告と見て取れると思います。(飛躍しすぎ?)
宗主国が配下の土地の言語を押し付けるというのは一番手っ取り早い支配です。
「最後の授業」でも行われていますね。
『解放された世界』では英語による統一が行われました。
可哀想に英語は結果として言語としてひどい状態に追いやられましたが。
(極度のクレオール化及び単語の肥大。)
さて、ネッドが英語を話すのに対してコンセイユはドイツ語を話します。
これは台頭し始めたドイツへの牽制を込めていると思われますが、どちらもゲルマン語。
一方でアロナクスの話すのはフランス語・ラテン語という往年の国際言語。
海の話であればドイツ語がでしゃばるよりもスペイン語が話される方が自然なはずです。
ベルギー生まれならピレネー山脈付近の出身にしてスペイン語話者設定もできたはずでは?
あるいは、「分類する人」であることに重点を置いたためにドイツ語話者設定になったのか。
頭の固い旧大陸と実際主義の新大陸、という対立項になるのでしょう。


比べて読みたいのはぜひ『白鯨』です。
狂った船長と世界一周。あなたはどちらを選ぶ?
わたしはあんなに綺麗な海の描写を現実で見られるのならエイハブを選びます。
しかし海底もとても興味があるので、途中で抜け出してノーチラス号に飛び乗りたい。
『黙祷の時間』//Siegfried Lenz, 松永美穂 訳//新潮社


Lenzは『アルネの遺品』『遺失物管理所』以来です。
小説に対して偏ったものの見方をしていたわたしにとっては
どちらともあまり好きではないというのが2作を読んだ当時の感想でした。
なのになぜこれをわざわざ手に取ったのか。
なぜでしょうね?

18歳の男の子が美人な英語教師に恋をする。場面は彼女の追悼式から始まります。
現在にいながら過去を振り返って語る手法はJohn Banvilleの『海へ帰る日』と同じ。
違うのは、進む時間がこちらの方が遅いというところでしょう。
海に関する「波」という言葉は、やはり遠くのものを運び込むというイメージ。
そうして足元に寄り、わたしたちを海へ引きずり込もうとする。
シュテラを引きずり込んでしまった海へ。
そうして彼の時間は、過去のなかに閉ざされて終わる。

全体的に悲しい話なのは先に死んでしまっていることが挙げられているからで、
その前提がなければ微笑ましい男の子の恋愛です。愛しくなります。
女の人の現実主義にクリスティアンがぶつからなくてよかったなぁと、わたしなどは思います。
だってほんとに「結婚しよう」なんて言ったら、シュテラ困ったでしょうから。
言う機会がなくて、返事がもらえなくて、良かったんだと思います。
あと、自分の国のことをどう思われているか気にするのは、日本人もそうですからね。
きっと愛国者はみんな気にするのよ。

もひとつ連想したのはChristian Gaillyの『さいごの恋』。
老作曲家が海辺でさいごの恋をする。
わたしがこの作品をとても好きなのは、文体と終わりかたのためです。
妻が作曲家の療養しているコテージを訪ねて終わるのですが、
彼女、夫が生きているということそれ自体に喜ぶのです。
それがとても。なんというか。コテージに女の人がいて作曲家が彼女に恋をしていても
この奥さんは怒ったりしないだろうと思わせるのです。

Lenzはそれに比べて救いを用意しない作家に見えます。
少なくともわたしが読んだ作品には用意してくれませんでした。
作風としてはぱたんと閉じれる終わり方が好きです。
Lenzはいつもぱたんと閉じてくれません。
なぜ読むのかしら。
たぶん、この作品がわかるようになりたいと思うからでしょう。


『黙祷の時間』では、『遺失物管理所』『アルネの遺品』で垂れ込めた灰色ではなく
『さいごの恋』や『海へ帰る日』の穏やかな海色を思います。
それから最後に。Hemingwayも思わせました。
ドイツ語原文に英語が交ざるという点で。
Hemingwayも英語原文にスペイン語交ぜたりしましたよね。
この作品を英語に翻訳したときに、原文にて英語だった部分はどう表記されるのか。
きになります。
Bertolt Brecht, 長谷川四郎 訳//みすず書房


好きな詩人はと訊かれたら、ブレヒトですと答えます。
もちろん彼は詩人というより劇作家なのですが。
二次大戦中のドイツで仕事をした人です。
収録作の中で好きなのは「けむり」「あらゆる製作物のうちで」「動物詩」「子供の十字軍」
彼の愛の詩なんかが情感的でとても美しいのですが、
魅力はやっぱり社会批判の強さでしょうね。

マーケットへ行って、買い物かごに普段と同じだけ入れてレジへ行く、
けれどお財布にあるお金では払えない、と示す詩があります。(この本には入っていません。)
訴えなければ存在しないと思われるから、とこの詩は言う。黙ってもなににもならないから。
焚書が行われているなかで、彼の本はわざとそのリストから外されます。
それについても憤る短い詩がありました。
そうして黙らなかった彼はデンマークへ亡命を余儀なくされます。

表現者は黙ることができませんし、もちろん黙るべきでもありません。
表現者が黙るときは国が死ぬときです。
人間をやめるときです。
時代への強い怒り、悲しみを、どうぞお楽しみください。
『ハインリヒ・ベル小品集』//Heinlich Boell, 谷山徹 訳//圓津喜屋

キリスト教的作品。著者は二次大戦の帰還兵で、それは作品にも表れています。
思いの外気に入ったので、収録作品全て取り上げましょうか。


「エルザ・バスコライトの死」
連想は森鴎外の『舞姫』。ただ単に女の子が踊り子だってことだけれど。
あぁやっぱり踊り子はそういう評価なのね、という。
しかし日本では芸妓に対して売女とか言いませんよね?
言わないけど思っているのかしら。公然だから声にしないのかしら。
後半でHemingwayの「橋の袂にいた老人」を連想。
そして悲しさをぶちまけるために少年のポケットに果物を詰める主人公。素晴らしい描写。
彼が悲しいのは、バスコライト氏が変わってしまったことだとわかる。

「ベツレヘムの知らせ」
聖書のお話。聖家族がベツレヘムから逃げるほんの少し前の時間を書き取ったもの。
どう控えめに見てもヨセフは不要である、という誰だったかの言葉を思い出します。
(作品でも、マリア、キリストと一緒にいるのは大天使であり父ヨセフではない。)
ヨセフはまるで従属的な立場をとっていて、そしてなにもしない。
白百合を子供たちに配る大天使が印象的でした。これから殺されてしまう子供たちのために。
わたしはどきどき、キリストは罪を許すために死んだけれど
それは産まれたときに罪を犯したことで相殺されている気がします。
また死んだ後で何人も殉教しているわけで、
彼のために死んだ数はあなたが死んだことでは償えない、と思う。
教徒ではないので勝手なことを言いました。容赦。

「思いがけない出来事」
緊密な心理描写。一冊の内で唯一細かに心の動きが描かれます。
教徒でもないのに、彼の信仰心に胸打たれた。
誠実であれ。

「パンの味」
わたしにはちょっと難解でした。読めません。
聖体拝領はウエハースだし、しかしきっとこのパンはキリストの体の比喩でしょう。
干からびたパンと新鮮なサラダ、白いドレッシング。
宗教に飢えている。救いを求めている。シスター(教えを説く人)では救えない。
わたしこの作品に、肉感的なものの否定を感じます。

「青白アンナ」
帰還兵の経験が生きています。
息子を求める母親、その不在をどうしても認められない母親。
そして暗闇に生き続ける、許嫁を失って傷を負った女の子。
空っぽの主人公は求めるべきものを見つける。

「小人と人形」
Joyceの「痛ましい事故」の連想。ひどく機械的な主人公が重なる。
ちょこっとユーモラスでとっても悲しい。痛々しく悲しい。
神はいるか?

「当時の天井」
社会的! にやっとしました。皮肉に満ちている。
家から出たときの解放感、制圧から自由でいるらくだや偶像、インディアン。
政府が変わっても安心できない、と言う。
そう、決して安心してはならない。

「よみがえり」
タイトルからD.H. Laurenceを連想しました。
奇譚かな。そう呼んでよければ。
お迎えが来てしまった話。主人公の恋人の方が執念深かっただけのこと。
女性の一途さへの恐怖みたいなものも感じないこともない。

「攻撃」
生白い上官(しかも少尉ってどうなの)、皮肉なベテラン軍曹、なにも知らない少年兵。
理不尽な戦いにおいて彼らを踏み潰す戦車。
老兵の言葉にじんときた。戦争の勝ち方を知っている言葉。つまり、生きるということ。
生きて帰還することが勝利と彼は知っている。
だから退却のときに逃げれるように少年の装備を軽くしてあげるのね。
だけど少年は勝ち方を知らなかった。無防備に恐怖した。
装備品に慣らされて自身の強さを持てなかった。そして恐怖に殺された。
その後悔が涙かも知れないなぁと思います。


Erzaehlungは「話して聞かせること」、story。enは複数形。
定冠詞のない不安定さが、形の弱い、けれど陶磁器のような短編を上手く表している気がします。
『愛はさだめ、さだめは死』//James Tiptree Jr.、朝倉久志・伊藤典夫 訳//ハヤカワSF730


短編集。12作。
あまり不思議な感覚のしないSF小説集。ひどく現実的で実際的。
対立。人間とエイリアンとの関係を書いて表現した感じ。
以下数編の感想。

「そしてわたしは失われた道をたどり、この場所を見いだした」
読後、一体人間はなんのために生きているのかを思う。
なにが人間を人間たらしめているか、とかね。
それは探求心だと結論づけられるけれど、つまり知的な活動からだということだけれど、
そこに同時に征服欲という醜さを見ます。
二面的な作品だなぁと思う。人間の気高さと醜さが山に登る行為に凝縮されている。
時間はそれを超越する。

「接続された女」
サイバーパンク。個人的に苦手な感じ。用語が多いから。
痛みを感じる。痛切で重い。
きりきりするようなのでなくて、がつんと切り刻まれる。
体の内側で、あるいは頭のなかで。

「断層」
これは「不思議な感覚」の作品です。
短めで、仕掛けを楽しむストーリーなので内緒にしますが、おすすめ。

「愛はさだめ、さだめは死」
蜘蛛を連想した。多分それで正しい。


この人の書き方はとても読みづらい。
頭にすんなり入ってこないのですね、今一歩理解を拒否する。
叙述が緻密すぎてついていけない。おや、わたしの理解力のせい?
「すべての種類のイエス」に始まり、「最後の午後に」で締める。
どちらも、女性の出産不安を根底にしています。
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自己紹介:
歴史(独愛蘇)と旅行が好き。
好きな作家
:いしいしんじ、江國香織、梨木香歩、藤沢周平、福井晴敏、
Christian Gailly、Ray Bradbury、Edgar Allan Poe、Oscar Wilde
好きな画家
:William Turner、Jacob van Ruisdeal、いせひでこ、いわさきちひろ
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