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Great Big Seaに関する雑談、その他音楽、あるいはただの読書日記

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なぜか、買ってしまった。
これのトラック6に、Donkey Ridingがあります。
全く、まったく、GBSの方がわたしは好きです。味があって。
でもFGのバージョン、途中でちょっと笑うのかわいい、と思った。
とにかく、POPに書かれたお薦め曲に6があって嬉しかった。
UNCLEOWENフェア、続行中です! 機会があればごらんください。
Tower Records 名古屋PARCO店

個人的に好きなのはトラック3、9、10、13、15。
CDを通して感じるのは疾走感というより、なんだろう、忍耐なんです。
Drive Me Mad、Sports Day at Killaloeで感じた風を思わない。
James JoyceのThe Dublinersに'Eveline'という短編があって、
その中で主人公が回想する子供時代に似ている。(抽象的過ぎますが。)
理不尽で絶対的なものに耐える力を思う。
それがDrive Me Madで昇華された感じ。
(だからここでFolk's Not Deadが叫ばれる見事な構成に拍手!)
今回は全体的にFolkというよりPop/Rockに寄っている。

2000年のリリース。
当時いて10年後にもいるメンバーはAlbi、Rainer、Stefan。
ざっと目を通したバンド経歴を以下で浚うと、
・AlbiとRainer、Peterの3人でFGの前身を創る。
・1991年にStefan、2000年にTobias、2001年にFrank が
 加入、あるいは前任者と交代。
・2006年にリーダーの(!)Peterが抜けてPatが参加。
となります。
2006年におけるAlbiとRainerの寂しさを思うとないわ……。
Alanが抜けるのと同じことですよ、GBSで言えば。

購入時、Another SkyとFolk Raiderと迷いました。
Folk Raiderはトラックの1がBonnie Ship the Diamond。
Pat(GaelicStorm)の不思議な声と漂うようなサウンドに耳が慣れていたせいで、
ずいぶんあっさりと海を流れるFGのバージョンに寂しさを感じた。
FGに慣れるとGSの浮遊感が違和感に思えるんだろうか。
Donkey Riding然りですが、FGはどうしてこう、表面的なんだろう。
トラッドそのものの深さにはほとんど触れない、
曲そのものの持つ愉快だけを抽出した感じ。
そしてDonkey Riding、出だしはバウローンの音なのに、
曲が始まったらペースメイクをスネアに譲ったのが解せない……。
アコーディオニストのStefanがバウローンを兼任しているのが理由の一かしら。
でもこのアコーディオンは楽しいですね。わくわくする。


特典としてUNCLEOWENさんが解説を書いてくださっていますが、
Long Goneは……ワルツではないと思います…………。
それともわたしがワルツの定義を間違えているのかしら。
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こうがんかえる

雁は秋の渡り鳥。『枕草子』や『大造じいさんと雁』を思い出します。
秋に見る空に線を引いて渡る鳥の群。
北へ「かえる」というのなら、南へは「むかう」のでしょうか。
北米開拓者が「行く」場所は西だけだったのだそうですね、東へは「戻る」のだと。
移り住んできた人も流浪者なら開拓者も流浪者だと思います。
「転がる石は苔むさない」を肯定的に捉える国らしさが見える。
流浪者であること、地に足がつかないことの言い訳をことわざにしている気がして。
なにしろ同じ英文でも英国では日本と同じ意味で使われます。


鳥つながり。
「あそこに見える鳥は故郷にいたものとそっくりだから、
 鳥よ、どうか愛しい人に便りを持って帰ってくれまいか」
みたいな和歌を覚えておられる方、みえますか。船着き場で詠むのですよ確か。
鳥の名前が思い出せたらいいのに。
4月17日にソロでライブ

Fred'sというのはSt. John'sの有名な音楽ショップという話です。
(最近Seanの記事がHere Fishy FishyからGreat Big Seanに移行しつつある。)
喜んで良いのか…………。
ちょっと寂しいなぁと思ってしまった。
OKPでは、JUNOで歌うんじゃないの、と出ています。
どうにも去年のGallow's Poleを思い出してしまう。
今年はどうぞもっと普通に!(普通はつまらないのかしら)

次のソロアルバムにも取り掛かっているようで、
ツアーのない時間を、みんなばらばらで過ごしているんだなぁと思う。
過去のツアー日程が公式から閲覧できますが(tour→tour history)、
もう二度と年100回越えることはないんだろうなぁ。
それと2006年はデンマークとUKだけ。ドイツ飛ばし。

欧州といえばFacebookにて、バンドのイタリアへの要請があります。
ふと思うのですが、陸続きの方って、たとえば「隣の国」に来たら行くのかしら。
わたしは韓国に彼らが来ても行く予定はない。それだったら本国行く。
これはシルヴァ・ストリークがそうさせるのか、あるいはみんなそうなのか。
イタリアからだとデンマークと英国、どっちが近いんだろう。
ウは宇宙船のウ//Ray Bradbury, 大西尹明 訳/創元SF文庫 フ-1-3

宇宙船にまつわる16の自選短編集。
訳が。気になった。部分的に。
『たんぽぽのお酒』から再録されている「タイム・マシン」と「駆けまわる夏の足音」。
前者は最後のダグのセリフ、後者はトムの設定(弟でしょうに!)
たぶん晶文社の訳が素晴らしすぎるのでしょう、なかなか訳せない。
原文見てないのですが、大西さんの訳が直訳であれば
「びりっけつは女の子だぞ」へは訳しづらいとわかる。
(でも「駆けまわる夏の足音」だなんて素敵な邦訳!)

お気に入りは「亡命した人々」「霧笛」「宇宙船」「宇宙船乗組員」
「宇宙船」は、『たんぽぽのお酒』に応用がありますね。あの話も好き。
男の子という生き物がなんとも羨ましくなる。
梅佳代さんの写真集『男子』をぱらぱら見れば、さらに羨ましい。
満を持しての紹介です(ほんとは8月に紹介しようと思っていましたが)。
おや何かあったかしらとお思いの方、本日7日の朝刊一面をご覧ください。
SeanかKrisが食いつくかなぁと思っているのだけど、確認したところでは記事なし。
昨晩の発表から記事なしということは書くつもりないのかな。

日本を代表するロックバンド、アジカンのアルバムWorldWorldWorldが本日の鍵。
世界のハイパーパワーに挑戦する気概と、それを包む音楽性をご堪能ください。
なんどもオールリピートで聞くと、目の前が拓けるように「わかる」瞬間がきます。
アルバムの一貫性、ストーリー性が実にすばらしい一枚。
収録されたどの曲も啓発的ですが、特に「No.9」と「ネオテニー」。
歌詞付きでお試しあれ。

アジカンについて少し。別にファンでもないので浅い知識で失礼します。
とにかく世界指向、日本に留まらない強さがあります。
学生時代から始めた音楽活動では、歌詞全てが英語。届けるために。
現在では独創的な日本語で歌詞を書いておられる。届けるために。
そして英訳歌詞がCDについている。届けるための。
日本語歌詞の繊細さを思えばこそちょっと直接的かなぁと思わないでもないけど。
アマゾンカナダさんでの購入も可能ですが、30CND弱ってちょっと高い。
本国CDが20しないのを考えると、日本の物価高を思います。


ちなみに今日は戦艦大和が沈んだ日だそうです。60年も前のこと。
毎日世界は変わっていける。
「変われるってことは、今日がだめでも明日はできるかもしれないってことだ。」
『童話物語』(幻冬舎)より。
大声で答えたいですね、Yes, we can. と。
つばめきたる

読めませんでした……。
玄鳥、玄は「くろい、くらい」の意。また「幻」と同じ音、はっきり見えないということ。
飛ぶのが速いこと、いつの間にか来ていつの間にかいなくなる存在から繋がる漢字ですね。
渡り鳥の代表選手。夏鳥、6月くらいの。
Oscar Wildeの名作、「幸福の王子」の献身を思い起こします。
暖かい場所でしか生きていけない弱さより、美しい感受性が彼の致命的な欠点になった。
映画情報サイトNCMへのリンク
主演男優・女優、監督、製作者の4人がそれぞれ話しています。


フランス、最初は19日に公開だったのですが、
カンヌに合せて12日に前倒しになりましたね。
(ベルギー、スイスのフランス語圏は未だに19日。)
日本の公開情報もそろそろ欲しいなぁ。
GW頃には入り始めるかしら、本国公開したら。
おじゃんになったりしませんように!

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But the king offers nothing in return.
と仰るRussellの後ろにAlanが居るのを知った。
何度も聞いていて、いくつか台詞が聞こえるようになってきた。
一番嬉しかったのはor burn! が聞こえたこと。
(しかし未だにAlanの台詞が聞こえない。)
でもネイティブだってちゃんと聞こえてるわけじゃないしね。
70~80%でしたっけ、全体として意味が通じればいいわけで。
(なんといい加減な!)
だから耳コピ歌詞が皆さま微妙に違うわけで。
(意味まで違ってくるのに気になさらないのかしら。)
しかしそう思えばこそ字幕が主流の日本ってちょっと得。
聞き逃しても見てられるからね、文字を。読める。素晴らしい。

そう考えると映画(娯楽)の字幕という楽しみ方は、
識字率が高く表現する際の文字数が少ない国でしか採用されませんね。
英語は話す1秒間に信じられない速さで情報が動く。
話す速さと読める速さは違う。日本語は1秒6文字。
字幕版と吹替版の訳が微妙に違うのは周知の事実ですが、
ここには翻訳者の方々の遊び心が詰まってて楽しいと思う。
いやいや楽しみですなぁ!
字幕観てから吹替観ようかなぁ。
諸外国ではできて2種類の楽しみしかないのに(英語と母語)、
日本では3種類の台詞で楽しめますからね、いいですね。
うきうきですね。
久々にhttp://greatbigsean.com/site/、が更新されてます。

うっかりしていた。先週が聖金曜日だったようで。
白兎を追えっていうのは復活祭を待てってことかしら。
ともあれ復活祭おめでとう。


イースターについて少し。
春分から最初の満月の次の日曜日が復活祭になります。(cf.『キリスト教歳時記』)
今年は東方・西方同じ日。
「磔になった三日目に復活された」ということですが、
金曜日に刑に処されて日曜日に復活されたというのはなんだか数え方独特ですね。
カラフルなうさぎのたまごを模したチョコレートを子どもが探す日です。
神仏習合の国には関係ないことで。
The train came out of the long tunnel into the snow country.
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。

This is the very first sentence of Snow Country.
Could you imagine and describe the scene?
Do you know that the line is very different from the original?
I wonder if foreign people can cherish the beauty of his works.
(Actually, I cannot believe the fact that he won the Nobel-Prize.
Could they comprehend his expression in translation?)


日本語の問題になるとかなりの確率で引用される一文。
わたしはこの次の文がとても好きです。「夜の底が白くなった。」
//金谷武洋/ちくま新書834

今月の新刊! と言いたいために3月中に読み終えた。
良本です。もっと読まれればいい。
前掲の『日本辺境論』の内容と併せて読むと面白いかな、と思います。
実際被さる部分が多く見られます。意味として。親密性など。
あとは去年の11月に読んだ『日本人の発想、日本語の表現』も。
We are what we talk.

『日本語が亡びるとき』//水村美苗/筑摩書房
この本をベースに日本語滅亡論は杞憂に過ぎないと力強く語り、
文法講義を交えつつ日本語の「土着性(あるいは親密性)」を解説する。
この親密性でふと思ったのが、ソファの応接間での上座の位置。
長椅子のほうが上座で、個別は下座なんだそうです、欧米では。
言葉では「わたし」と「あなた」をはっきり隔てているのに、隣に座る人の存在を求める。
日本語は逆です。「わたし」の存在は対話の中で溶けて消えている。
そのくせ自分の席を求める。

川端康成の『雪国』で、冒頭の一文についての考察が興味深かった。
三人称全知の語りという文学的遺伝子なのか
はたまた主語という特殊な言語形態のせいか。
わたしと友人があの英文から想像したイラストは横からでした。
きっと日本人は横からでしょう。
OKPでちょっと呼びかけて、このイメージ描いてもらおうかなぁ。
これが不思議でならない。
日本人て本という形で文字を読むことが大好きなはずなんです。
でなければ新書や文庫が出るはずがない。
しかもその出版形態があんなに良質であるはずがない。
ペーパーバックと比べていただけるといいのですが、
柔らかなクリーム色の滑らかな紙に、質のいいインクで(滲むことなく)印字された日本語。
そしてカバーという存在。「本体」が汚れないための。
廉価で持ち運びやすいことが前提の文庫が、ですよ。
栞つけたりカバーつけたり良質な紙の使用は、明らかに「低価格」には邪魔者です。
わたしはペーパーバックをお風呂で読めますが、文庫や新書を読もうとは思いません。
畏れ多くてできません。
実際人に驚かれる。ペーパーバックだろうが、本を湿気の多いところへ持って行く事実を。
多分この本という形態に一種畏怖を感じている。
じゃあどうしてペーパーバックは大丈夫と割り切れるのか。
曲がりなりにもあれは本で、文字だって書かれていて、大好きな作家なのに。
持ってみたらわかる。
あれは軽すぎる。
まるで内容がないみたいに軽い。
そう思ったら、こんなに凝った文庫新書は、最後の防波堤なんだろうと思える。
本の価値を低めないための、最後の防波堤。
出版業界希望の友人が、もうネット配信の時代だから、
とか言ってましたが、違うだろう。どう考えても。
そうでなかったら同人誌即売会なんて存在しない。
言葉は、手で、ページをめくって直接読むものではないですか。
書き換え可能なデータではなくて、刻まれた文字として。
かみなりすなわちこえをはっす

春雷ってあまり実感しないのでなにを書いたらいいのか……。
古今東西問わず、雷は山の神の怒りの象徴。
北欧神話のトールであり、現代のお母さま方であり。
(悪口ではありません、あしからず。)

今月がいやに短くて驚いた。なにしてたんだろ。
妙に難しい本に手を出したりYoutube見たり話書いたり手紙書いたり。
悩んだり唸ったり笑ったり落ち込んだり後悔したり決めたり、した。
時間の概念は、それまで生きてきた時間の総数を分母にして決まる。
まだあと3倍は生きるんだから、もっと悩んで唸って笑って落ち込んで後悔して決めて。
手紙書いて話書いて人と話したらいい。
空からそんな声が聞こえたっておかしくない、3月晦日、晴天。
明日からは新年度。


わたしは心底驚いた。
彼がfromなんて言葉を使っていることに驚いた。
こんなに驚いたのは公式のbioを見て以来だ。
英語を専攻していたと書かれていた1文を見たとき以来だ。
OKPを読み始めたときちょうど、GBSは3人だ、みたいな記事が騒がしかったせいもある。
おかげでわたしが3人と2人という妙な言い方をしているせいもある。
妙な悩み方のこだわりをしている自覚はある。

SUtSは12曲トラックと言っているように聞こえる。
pretty much pop/rock band. と言うMurrayの口調に注目。
(あと、ほんとにあんな誘い方をしたんだろうか、Alanは。
 ウチにおいでよ愉しいよ、とか、どんなお誘いだよ。)

このインタビューは2人とも英語クリアなのでリスニング練習にいいかも。
都会人は妙な癖がなくて聞きやすい……(笑)
//内田樹/新潮新書336

話題の一冊。
これからしばらく日本論が続く(と想定されます)けれど悪しからず。

彼を読むのは『9条どうですか』以来。
相変わらず親しみやすく読みやすく明晰で奥深い。
日本人はどうしてそのようなものの考え方をするのか、を、4つの観点から論じる。
個人的に日本人の思考法は日本語と密接に関わっていると思っているので4章は特に面白く読めました。

特に興味深いのは漢字とかなについて。表意文字と表音文字。
日本人はあまり音を当てにしていない気がします。
同音異義語がこれだけあるというのがそれを示している。
わたしは長らくsigneの和訳が「ひょうしょう」なので「表象」だと思い込んでいました。
(正しくは「標章」。サインですから。)
ここからわかるのは、わたしは「ひょうしょう」という音ではなくて漢字によってその言葉を理解していた、ということです。
会話をしながら音の表す漢字を頭の中で思い浮かべる。きっとあらゆる日本語話者のするように。
端なのか橋なのか、驚異なのか脅威なのか。
これは日本語話者が英語を習得する際のハンディでもあります。文字から入る。
文字というものに親しみと愛情と信頼を持っている証しです。是非は問わない。
そんな言語なのに活字離れとは痛々しいというか致命的というか、
頼むから漢字多用に戻ってくださいマスメディア。


わたしは自分の言葉に論理性があまりないことは知っているのだけれど、
それはこの言葉が借り物だからなのかとふと思った。
本を読むことで仕入れた考え方や言葉を、自分自身とつなげる前に飲み込んでしまう。
噛むというプロセス、考えるということをあまりしないせいなのかもしれない。
既成のもの同士をくっつけることはするけどね。

今回珍しく書き込みとドッグイヤーをしてみましたが、読み返すと面白い。
自分の思考手順が残っているのです。
ある文章(あるいは言葉)によって掘り起こされるわたしの個人的経験がこの本に残る。
正しい・正しくないはここで求めていないので、まるで自由過ぎる。
続けてみると良いかも知らん。
『解放された世界』//H. G. Wells、浜野輝 訳/岩波文庫赤276-6

世界を動かすはずだった小説。
一次大戦前夜(1914)に書かれた、世界平和の作り方。
原子爆弾が完成、大々的な戦争の開始。
世界が破滅に向かう恐怖から地球の共和国化が提案される、という筋。
ちょっと楽観的というか表面的過ぎるきらいがあるなぁ、というのは、
散々いじられてできた現在の世界からの結論なので偏っている。
難しいこと全部抜きにしたら、なるほどスマートな解決案だと思いました。
主に宗教問題が邪魔をして実現しないだろうと思いますが、望むことはできるのでは。
UNが名前を変えて、本気でこれを発案するのも手だと思います、わたしは。

瑣末なことですが、面白かったので以下引用。
本文中において、世界統一政府に反対した日本人の末路。
「かれらは国民の誇りを買い被っていたため、日本国民からすぐにしっぺ返しを受けた。」
1914年の文章ですよ。大戦前。それにしてこの洞察力。
一部熱狂的な愛国主義者が反対すること、けれど大多数がそれを押し退けることを予想する。
攘夷運動なんかの結果を受けてでしょうか、歴史は繰り返されると示しておられる。
わかっているのに繰り返される歴史からは逃げられないのですね。

それから最後。フリー・ラブの肯定者らしい見解に息をのみます。
これが現在ある「当たり前」。この考え方が。
彼の残した世界は変われるか。
あるいは解放されるか。
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自己紹介:
歴史(独愛蘇)と旅行が好き。
好きな作家
:いしいしんじ、江國香織、梨木香歩、藤沢周平、福井晴敏、
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好きな画家
:William Turner、Jacob van Ruisdeal、いせひでこ、いわさきちひろ
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