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Great Big Seaに関する雑談、その他音楽、あるいはただの読書日記

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名曲。
誘うフィドルとSeanの声が良く合うのです。
訳をしようとずーっと思っているのに、好きすぎて上手くいかない。
解釈。あまり原文に沿っていません。かなり大筋です。
ポイントをほとんど落とすというありえない雑さですごめんなさい。

 地下牢みたいな夜深く、空に星は見えなくて
 でも躓きもせずに彼女の元へたどり着く
 寝室の窓の外、そうっと石に跪いて
 こつこつ叩いて呼び掛ける「そこに男なんていないよね?」
 彼女は起き上がって腕組をする、「そこで私の眠りを邪魔するのは誰?」
 「僕以外に誰がいる、ドアを開けて入れてくれるかい
 ここまで来るのにへとへとで人肌が恋しいんだ」
 彼女は喜んでドアを開けて迎え入れ、
 握手をして抱き締めあった。
 1つみたいに横たわって起きた朝
 「ここに君を残して向かわなきゃ、高く聳える山の向こうへ
 君と居られた幸福の記憶で、山を越えていくよ」
 俺は呑んだくれの放浪者、これからもずっと流離い人
 どうやったら村人になれるのか呑みながらいつも考えてる

Seanがあんな風に歌うから気づかないのだけれど、
roverはかつて人権を保護されていませんでした。
住む場所がないので共同体に所属できず、そのために権利がない。
共同体に1ヶ月以上定住するとその権利は得られるのですが、
もとからの村人たちがそれをされると困るので
(扶養金は税金から出るので余所者に出す金はない的な考えで)、
1ヶ月経つ頃に追い出されるのです(だからI must go)。
そして身分の低い男とは結婚できない。
(流浪者は最下層より下、というかランク外。)
わたしはどうしてもDo you lie alone? が許せないのだけど、
そうとしか言えないのですね、きっと。
だからこそjourneyという単語が切ない。
帰る家があって初めて旅は成り立つ。だからroverは本当はこの単語を使えない。
youが旅の終点なのは、比喩であり切実な願望でもあるんだなぁと思うのです。

長々書きました。
でもこの曲を聴くときはこんなこと考えちゃいけません。
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ささやかに存在するDarrellのコーラス。

 グリーンスポンドはきれいなところ
 ピンチャーズ島みたいにね
 お母さんは新しい毛皮のコートをわたしに買ってくれる
 お父さんが戻ってくるとき
 幽霊みたいに真っ白で
 子供たちとその小舟
 コートを着た女の人たち
 ぺティ・ハーバーからやってきた

意味を取ったらわからなくなった。
要精進。

アコーディオンが最後に空気を押し出して、うわゎぁん、と響くのが好きです。
squeeze-boxという感じがひしひしとする。
あとはボーンズの音。時計みたいに現実的で、目立たないけど確かな音。

わたしは本当に器楽曲が大好きなのだけど、
実に実に、GBSは、声を待ってしまう。
器楽だけでは不完全だと思っているのか、足りない気でもするのか。
でもSB*のChafe's Celidhはもの足りないとは思わせないんですよね。
完成度というより、密度の問題かも。
歌うことを前提に演奏されているかどうかということ。
声が入る余地が残されているか、ということ。
大好きな曲です。
歌詞は今回割愛。サイトで訳をしていますのでそちらをご覧ください。

重さがありますよね。深さが。剥き身で、なのに鉱石のような強さがある。
この曲は地震に似ている。地下から湧き上がって揺さぶってくる。
静かに、だけど致命的に襲いかかって、まるで立っていられない。
Alanの声とDarrellの声が重なって波を作っている気がします。
ドラムが出張らない伴奏を全力で支援。(いかなMacFarlanistだろうと。)
勿体ないと思うのです、この曲に硬い音が入るのは。
だって痛みがない。攻撃的になりきれない。絶対的に包む優しさがある。
人間として扱われない痛々しさ、人間性の悲しさ。
そういうものを包む優しさがあると思うので。
聴き所は軽やかに(聞こえるように)駆け抜けるホイッスル、
痛みに耐えても深く染み込むAlanの声。
願いを込めた、皮肉に満ちた歌。プロテストソングかな?

 街頭演説で、巧いことばっかり言ってる人たち
 もう1ドルもくれてやれ、そしたらその馬鹿な争いも終わるだろ
 お好みで印をつける、それさえすればいいわけで
 背水の陣を敷く、それが彼らの言ったこと
 政権公約を忘れてくれなければいいんだけれど
 戦争を終わらせるって言ったろ、平和になるって
 血清を見つけて病気を治してくれるって
 ホームレスに家を建ててやって、肌の色も差別しないで
 飢えた子どもに食わせてやるって
 いつかきっと近い未来に
 通りで寝ている人がいた、紙を敷いてその上で
 その紙の大見出し、「路上生活者を出しません」
 でもそんな紙じゃ凍えた足を温めることもできない
 だからその約束を忘れてくれなければいいんだけど
 どうせ実行は難しいとか言うんだろ
 相手がやるからやらざるを得ないんだ、とか
 未だに俺は踊らされてて
 そしてなんにも変ってない

こういうのを聴くと、おぉおロックだ、と思うわけです。
そうか当時はロックだったんだな、と。
絶望と後悔の歌。このCDのSeanはそんなのばかり。
そしてこれは、Bobのバグパイプが拝聴できる貴重な曲です。
Pete(GS)の疾駆するバグパイプも大好きですが、哀愁誘う穏やかさも必聴。

 君の顔を最期に見れて、抱き締めてもらって死ねるなら
 怖いものなんてひとつもなしに幸福な墓に眠れるだろう
 突然消えたり100年生きたり、それさえきっと怖くも苦しくもない
 老いさらばえた石の心よ、どうか忘れさせてくれ
 後悔し続けると知っているから
 ひとつお願いをしてもいいかい、どうか覚えておいてくれ
 君がいて道を示してくれたから、迷子になんかならなかったよ
 地獄に落ちたら追いかけてくれるかい、それとも別の人を見つけるのかい
 太陽が隠れても雨が降り続いても、君がいたら堕落しない

例えばyouが神というのは可能か、と考えていた。
あるいはyouは聖母、Iが神の子、というのはどう。

最近のSeanの日記見てるとどうにも怖くなる。
いっぱい後悔してるんだろう、自分が永遠には生きられないと知っているから。
不健全にも程がある。他意はないのでしょうけれど。
つまり、ファンを悲しませるとか不安にさせるとかは意図していないでしょうけれど。
若くいることをこのCDで彼らは放棄しましたね。どんなコンセプトで作ったのかしら。
諦念みたいなものがちらちらしていて、それを隠すつもりなのか楽器が多い。
運命の女神がすっくりと立つその先は、死を見越した曲ばかり。
トラック14なんかまさに、ですよ。あの軽快さと愉快さに騙されてはならない。
C&P&G のバージョンが好い。Krisがとんでもない高音でコーラスする。
伴奏もシンプルで引き締まっていて好感が持てる。リズムも良いし。
19世紀後半の、蒸気船が流行った時期のお話。
捕鯨船が海を渡る話。(Bonny Ship the Diamondとはまた大分違うかな。)
今回歌詞にあまり自信ない。普段に増して。

 ダンディ発の捕鯨船団、乗組員はイギリス人で
 勇敢な捕鯨船そのままに西洋の航路を進んでいく
 2度目の日曜、港を離れてすぐの朝、南西の風にぶつかった
 波は後部甲板と支柱をさらって何もかもが海のなか
 帆布を張るアーサー・ジャクソン船長、フェアウェザー船長は蒸気船を駆る
 豪胆なガイ船長は流れの中に突っ込んだ
 ≪ハスキー≫のマリンズが捕まえようとしてきたけれど
 ≪ポリーナ≫の船員は傷つくことすらしなかった
 神聖なる≪テラ・ノヴァ≫、見まがう事なきあの形
 ≪アークティック≫と≪オーロラ≫は話ばかりして
 ジャックマンの郵便船、海の狂者で知られた小舟
 ダンディからの航路のなかで≪ポリーナ≫を出し抜こうとしてた
 セント・ジョンズのラムは安くて船長の健康に挙げた杯
 それから恋人たちと妻たちに
 こんな旅、他の船には真似できないねと俺は言う
 ダンディからセント・ジョンズまで、あらゆる海を越えたのだから

船の仕組みに詳しくないのでコーラスをどう訳していいかわからない。
quarterdeckが高級士官という意味を持つそうで、そういう意味かとも思ったものの
stanchionの意味が取れなくなるので後部甲板にしました。
タイトルは初め海域なのかと思っていたけれど船の名前ですね。
ダンディ(Dundee)スコットランドの港の名前
アーサー・ジャクソン(Art Jackson):船長の名前
フェアウェザー(Fairweather):捕鯨船Balaenaの船長
マリンズ(Mullins):ハスキー(Husky)の船長
テラ・ノヴァ(Terra Nova)、アークティック(Arctic)、
オーロラ(Aurora)、ハスキー(Husky):船の名前

この頃の蒸気船って帆も張るんですね。
そして捕鯨と言いつつ熊も捕まえていたらしい。
≪テラ・ノヴァ≫は(北極探検で有名な)スコット隊長の船だそうです。
ちなみにこのPolinaはPolyniaという名前でよく知られているそうですが、
1891年に氷山にぶつかって沈んでいます。
このときPolinaのクルーを助けてくれた船がAurora。
沈んだという未来を知っているから、最後の1行が切ない。
ベースラインが父と娘の会話、父と婿の会話をつなぐ。
ティン・ホイッスルが物悲しくもやわらかい。
ニューファンドランドで最古類の英語歌詞の歌。

チャイルド・バラッドなんだそうです。
Captain Wedderburnもチャイルドバラッドだったなぁと思うと、
どうしてこういうものが「チャイルド」バラッドなんだろうと思う。
会話で成立してるから?(そもそもなにがChild Balladなんだろう。)
かなりかいつまんだ現代語訳で以下歌詞のおさらい。

 調子が悪そうじゃないか、娘よ。どうしたのかね
 どうもしないわ、ただの恋わずらいなの、それも海を進む人にね
 そいつは卿か、爵位は、騎士かね? 裕福で名声はあるんだろうね?
 それともうちの船乗りか? さあ、お父さんに言ってごらん
 卿でも伯爵でも騎士でもなくて、富も名声もない人で、
 そうよ船乗りなの、ジョン・バーバーっていうの
 ジョンか、あいつは下級水兵だぞ、ほんとにジョンなのか?
 だったらあいつをつるし上げねばならん
 一度、二度、三度、父は水兵の名前を呼ぶ
 ジョンは最初に名前を呼んだのに最後にひょっこり躍り出た
 真っ白な服にばら色の肌、エナメルの溶けていない綺麗な歯
 みんなに笑顔で給金を支払って、ジョンの番ではひとつ訊ねる
 もしも俺が女ならお前はベッドに招かれる男だが、と
 うちのジェーンと一緒になってくれるかい、やつの手を取ってくれるかね?
 俺とともに食事を摂り、俺の土地を管理してくれるかね
 ええ、ジェーンと結婚します、彼女の手を取りましょう
 あなたと食事も摂ります、けれど土地に関してはお断りです
 彼女にあなたが金ひとかけをあげるなら、わたしはみっつあげます
 みんながジョンと呼んでくれるから、怒れる海を進むのです

海にとりつかれた人っているんですよねぇ。
陸にどんなに平安があっても、荒れ狂う海を愛する。
I plough the ragin sea.
plough(plow)は「(苦労して)進む」。
身分の低い人との結婚が奨励されないのは当時の当然ですね。
そんなわけでつるし上げ(hang)が待っているわけですが。

Seanは、切実にJohnの気持ちがわかるんだろうなぁと思う。
だからこれが歌えるんだろう。
女と平安を同じ秤皿に置いて、もう片方に海を置く。
それでも、海の方が重たいのです。
一時OKPで話題になりましたね、この歌詞にまつわるバンターについて。
こちら。
Seanが、ただのセックスの歌だとかコンプレックスの話だとか言って
Alanが歌い出しに失敗するという、なんとも奇天烈な伝説。
当時人気絶頂でしたからね、このときの反応は凄かったに違いないよ。
パロディとかいっぱい出たことでしょう。今読めませんかね。読みたいな。

 湾の向こうのギデオン・ブラウンは、大きく強い頑丈な船を持っていて
 父は中古に乗って漁をする度帰ってきては誓ってた。
 きっといつかお金を貯めて、あんな船を買いに行こうと。
 併合の日がやってきて、父は年金を手にする。
 それを貯金するから児童手当も貯金しろと言う。
 それでそうしたら、船を買いに行けるだろうから、と。
 何年も過ぎてゆく月日、弱っていく父。
 船のことなんて口にしなくなって、ただ「怖い」とばかり言う。
 もし事態がすぐに好転しないなら、いい船に乗る前に
 自分たちは死ぬしかないんだろうかと。
 父の手をとって座っていたある日彼が言う、「あの話だが」と。
 俺の保険の名義はお前にしてある 受取人なんだ
 俺が死んだら保険が降りるだろう、そしたら街まで行くんだ
 それで船を買いに行くんだぞ、と。
 いっつも思っていたことがある。どんなに誇らしいかと。
 ギデオン・ブラウンみたいな船を持っていたら。

Confederationが上手く意味を取れなくて、
カナダの領有になったことかと思って「併合」としました。
英国に年金がないわけじゃないと思うんだけどなぁ。どうなの?

父から息子への継承。いい歌じゃありませんか。
(まったく誰ですかふしだらな曲だと思ってるのは。)
しかしあれですよ。船がいかに高いか、というより、
漁業がいかに儲からないか、を歌っていますねこれは。
これ、お母様はどう思ってるんでしょうね、妻とか。
多分ばかばかしいと思ってるんだよ、女は現実主義だから。
だから男は女が嫌いなんだ。
19世紀初頭に第一回の(英からの?)独立を祝った曲。
その船乗りの勇気と強さを高らかに歌い上げるトラッド。
drinking-songと思っていたので、歌詞を見て驚きました。
あら、こんな歌だったのね、という。
生真面目な船乗り(!)のジャックの話。
ひとつのストーリーになっていて、こんな話。

 裕福で真面目な船乗りのJ.H.に妻はいない。
 でも女っ気がないわけでは決してない、時々遊ぶぐらいの人。
 帰港途中に嵐に巻き込まれて、船から一掃された乗組員。
 みんな激しく岩にぶつけられて、自分が死ぬことを疑わない。
 海神は船乗りたちを殺そうとしたけれど神が風を宥めた。
 そうして生き残った、船乗りで縫帆手のばくち打ち、酒席の主役J.H.。

ネプチューン(海神)がsparを2つ切り落とす、と書かれているのだけれど、
ここがどうも気になる。
sparは海事としては帆桁、帆柱なんかの意味なんですって。
ただ、ケルトの神話でネフタンの項。
井戸の神でその井戸から水をくみ出そうとすると眼をやられる。
妻のボアンドは井戸の周りを回って大腿、手、眼と切り落とされる。
(詳しくはwikipedia参照。)
だからここでのsparは、失明を表しているのではないかなと思う。
そして文学的に言えば、失明は去勢の象徴です。
sparがね、だから、陰茎の意味を持っているんじゃないかな、とか。
そしてこのボアンドは溺死してしまうのだけれど、
J.K.が生き残るのはこの場合その対として考えてしまう。

駆けるアコーディオンがメインだと信じて疑っておりません。
最後でAlanが、アルバム版では囁くんですね。Jack Hinks。
ライブで声高に叫ぶのも好きですが、囁く方が好きかもしれない。
コーラスがなによりカッコいい。4人の声。飾り気のない声。
バウローンが支えて、堅実に重ねた音。
Seanのメインが柔らかくていい。柔らかいのに確実だからいい。
コーラスでAlanの声も聞こえるのだけど、あの癖のある声が不安定に聞こえる。
不安定で弱くて浮いて聞こえる。Darrellがうまく掬っているから余計。
それで吹き過ぎるホィッスルが切り裂く風を思わせる。
この曲は大地であり海であり空である。

さて歌詞を少し。

 2人の軍曹がニューファンドランドにやってきて、徴兵をする。
 500人の男が志願して、フローリゼル号で渡った大西洋。
 降り立ったスーヴラの砂の上、ガリポリは血の海だった。
 7月1日、英政府からのお達しで、第一線に立った兵士たち。
 死ぬ覚悟をした翌朝の、点呼に応えたのは一握り。
 ウォーター・ストリートの石工は今でも泣くのだ。
 男盛りの若者たちが戦いに出向いたその日を思って。
 王の言葉をただ一言聴きたくて、1,000の人が亡くなった。
 山の向こう、海の向こうへ
 勇敢なニューファンドランド人よ、いざ行かん
 フランドルでガリポリで、その功名を挙げよ
 さあ志願せよ、ともに行こう と。

Blue Puttees、というのは、ニューファンドランドの連隊のことだそうです。
青い巻きゲートルが軍服だったんでしょう、と推測するしかない。
この話は生き残りの方のお孫さんが書いた
Memoirs of the Blue Putteeに詳しいかと思います。
第一次世界大戦・ソンム戦線の話、とまとめてしまっていいのかな。
ソンムというのは両大戦でどちらも激戦区だった西部戦線です。
Beaumont-Hamelにニューファンドランド連隊の記念碑があるそうで。
このページによれば、連隊はガリポリの戦いを戦って、
そのままソンムに向かえとロンドンからのお達しが出る。
激戦区に送り込まれるのはいつだって、本国の人間じゃないんですよ。
あ、tipをもうひとつ。
4人が卒業した大学は、この戦いの日にちなんで建てられたそうです。
(大学はWater Streetにあるということです。)
歌いたくてしょうがなかった曲、だろうなぁ。

そう。昔からのファンは、こういうのに惹かれたんだなぁと、わかる。
この曲はかなり彼らを表していると思います。
特有の楽器、安定した演奏、剥き出しの音、無防備な拡がり。
重なる深い声の響き、トラッドであるということ。
彼らの根付いた大地にいるということ。
いままたこんな曲出されたら惚れ直す。絶対。
頼りないほど素直で素朴な、まるで無垢な音。
二度とないとわかっているからこの曲に恋するのですけれど。
夜。冷たい窓際月の色、言い訳探しと正当性。
タイトル通り、時間を稼いで答を探す歌。
一応歌詞を見ましょうか。

 また4時間も眠れずに横になっていた
 ずっと争い続ける理由を探して
 後悔しない方法を選んだ
 いままでにない大問題だったから
 茨道なんて歩きたくなかったのに
 君はいつでもイチかゼロかだ
 それで決断のときがきたから
 話の肝は全部隠すんだ
 あぁちょっと待って もう一日時間をくれ
 ちゃんと決着をつけようじゃないか
 言い争いなんか全部打っ棄って。
 いつでも君は流されるままだ
 歌詞を付け足しては歌を終わらせない
 時が来るまで待ってくれ
 どっちにも光明が見れるように。
 1人寝なんて怖くない
 1人でだって大丈夫
 また4時間眠れなかった
 終わりにしない理由探しを続けてばかり。

曲調は寂しくて穏やか。
パーカッションの音が染み入る。
約束と反故と喧嘩と祈り。
夜は明けない。
だから意地を張って、不毛な状況を続けようとする。
太陽がそれを明らかにするまで。

ただのラブソングです。書くことないわ。
Seanが囁くところが好きです。
 1人寝なんて怖くない
 1人でだって大丈夫
寂しくて切ない声。反則だろ。
海の音がささやかに続く。
ゆるく、ぼうっと汽笛みたいに低い音。
バウローンの打つリズム、桟橋を叩く波の音。
波止場のうらびれたアコーディオンの、導く語り手震わす空気。
そういうイメージ。
出だしが大層好きなのです。1分弱続く波の音。
greatと銘打つくせに控えめで、bigと気取るには幼い音。
そして疑いようもない海が、確かにそこにある。
海は繋がっていて、どこかにいつかたどり着くだろう、
それがどこであろうと目的地であることに違いはない。
そのイメージで歌詞を見ましたので切羽詰った感じがなくて、
白黒写真が淡々と語るような記録映画のようになってしまった。

 津波がロングビーチを襲った
 グラニーは言葉も出なかった
 津波が港に襲い掛かった
 キーオーの店に襲い掛かった
 お母さんずだ袋をくれないか
 ビーズやボタンをつけて担ぐんだ
 ブーツは壊れてコートも破れた
 でもグラニーに恋してる
 魚もいないし小麦粉も高くて
 グラニーは歓待ができない
 けど秋までにはなんとかなるだろう
 ならなきゃそれまで、船に乗るだけさ
 懐かしいカナイユへ出るだけさ

固有名詞について少し。
ロングビーチ(Long Beach)は南西の湾のこと。
グラニー・スヌークス(Granny Snooks)は人名。
カナイユ(Canaille)は南フランス、マルセイユのそば。
Great Big Sea、というのは、津波(tidal wave)のことですね。
トラッドと結構違うみたいですが、果たして。

goneという単語は、完了の時制としては経験を表せない。
行ってしまって帰ってきていない、これがgoneの意味。
素敵だと思いませんか。
偉大なる大海原に駆り出して、未だに帰ってこられていないのです。
それが1stアルバムのトップバッター。
今はもう家庭に「帰って」しまった、Darrellの伸びやかな歌唱力をご堪能あれ。
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自己紹介:
歴史(独愛蘇)と旅行が好き。
好きな作家
:いしいしんじ、江國香織、梨木香歩、藤沢周平、福井晴敏、
Christian Gailly、Ray Bradbury、Edgar Allan Poe、Oscar Wilde
好きな画家
:William Turner、Jacob van Ruisdeal、いせひでこ、いわさきちひろ
全力でGBSを応援中
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